本日3日の朝日新聞朝刊生活欄の、「子どもの声聞こえてる?」で、学校給食のことを特集していました。
「給食だと嫌いなものが出るけど、ウチだとお母さんは嫌いなもの出さないから、ウチの料理のほうがいい(小4女子)」
「うちはさあ、栄養士さんが代わったら、おれの好きなキムチチャーハンにもジャコ入れるんだよ。ジャコ嫌いなのに」
「赤飯きらい、お豆がぱさぱさして、なんかいやだ」
「給食の魚は骨があるからいやだ。うちは、骨のない白身のところしか出てこない。」
引用されていた子どもたちの食に対する発言には、子どもたちの置かれている食経験の貧弱さを考えさせられました。栄養士は私の好き嫌いを知らないけれど、お母さんは家族だからちゃんとわかるなどという発言もありましたが、嫌いなものを出さないことが愛情と考えているのなら、周囲の大人の子どもへの関わり方を考えたほうが良いのではないかと思うのですが・・・。小学5、6年生の家庭での食経験に白身の切り身魚しかあがってこないのも、果たしてそれで良いのでしょうか?
「おいしい給食プロジェクト」なるものを推進している区もあるとのことですが、食べないで捨てたら絵に描いたもち、もっと給食を食べてもらいたいと工夫を重ねていることが紹介されていましたが、人気メニューがビビンバ、キムチチャーハンとのこと・・・。子どもの嗜好に配慮することも必要だと思いますが、子どもたちに食の何を伝えたいのかというと問題の大きさを感じざるを得ません。
反面、岐阜県多治見市の実践は、学校給食の未来を感じさせるものでした。アユの塩焼き梅味噌添え、枝豆入りひじきご飯、トマトと糸寒天のごま酢あえ、トウガン汁、ミカン。梅味噌の梅干しは調理場の調理員さんが漬けたものだそうです。
子どもは、魚には頭からかぶりついたり、はらわたまで食べたり、いつもおかわりもいっぱいしていると記事にはありました。多治見では30年程前から、日本型食生活や魚を使った献立、かみごたえのある食品を取り入れてきたそうです。
第八保育園も、私たちが受託してから12年近く、日本型食生活を意識し、米飯と旬の野菜、魚料理を中心とした給食を工夫してきました。米飯や魚については、限られた予算の中で提供していくには大きな努力が必要です。食数の多い学校給食においては、さらに難しい課題が多くあるかと思います。それでも多治見のように市をあげて、子どもの食経験を豊かにする取り組みを実践されていることは、実施したくともどうすればよいかと悩んでいる方々を勇気づけるものだと思います。
人の食の嗜好は、10歳までに、どのような物を、誰と、どのように食べたかに大きく影響されると言われていますが、私は小学校にあがるまでが勝負だと思っています。
日本型食生活の大切さが提唱されるが、若い世代には浸透しない。味が濃く、甘く、脂っこいものを、今の子どもは、いつでも好きなだけ食べられる。しかし、体にとって大切な食べ物を選ぶ能力が本人にも、親にもないとすれば、怖い。子どもの頃の食習慣が、生涯の食習慣をつくるからだ。(同 朝日の記事より)
「肉や脂っこいもの、パンや麺などは、わざわざ園が給食で提供しなくても、それ以外で子どもは食べ過ぎるくらい食べているものは出しません。」と私も良く言うことです。子どもによって個人差があることですが、3食のうち1食、園の給食が子どもの食経験の幅を広げていけたらと思います。
名古屋短期大学の小川雄二教授(食育)は、嗜好を広げるためには、収穫体験、調理など子どもを「食のプロセス」にかかわらせることが大事だという。かかわれば、その食べ物を安心して受け入れる(同 朝日の記事より)
園では、巷が食育と騒ぐ前から、食農保育を実践してきました。生活の中で感覚で捉えていく力の豊かな幼児期から関わることが、深く子どもたちの心に染みていくものと考えていたからです。
良く言われることですが、「食」とは人が良くなると書きます。
人がより良く生きていくためには、食べものから栄養を吸収するだけではなく、食にかかわる様々な文化、人との交流、人のこころ、そうしたことを深く感じられる感性を磨いていくことが大事だと思います。
子どもにやらせるということではない、子どもを含めて、そこで生活を共にしている人たちが、食を介して様々な人と人とのつながりを深めていけることが、大切だと思います。
みんなで汗をかいて、その結果として恵みを得て、みんなでそれを口にしている時には、みんな笑顔でいられと思うのです。
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